神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

新約聖書ヨハネの福音書 3章16節

 キリスト教の信仰は、イエス・キリストにおいて現わされた神の愛を信じることです。ヨハネ3章16節は、この愛を見事に言い表していると共に、キリストが世に来られた本当の意味が明らかにされています。

1、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」。
ここに「実に」とありますが、これは驚きの感情をこめての言葉です。この「世」とは、神に逆らい、神をうとんじ、神を無視して生きている現実の世界そのものです。神の愛は、このような罪の世に向けて現わされたのです。

2、神の愛は「そのひとり子をお与えになったほどの愛」です。
この「与えるほど」とある言葉は「贈り物」と同じ意味を持つ言葉です。神の愛は、そのひとり子イエスを十字架の死に渡すことで示された愛です。神の愛は、自分にとってかけがえのない「ひとり子」さえも惜しまないという、決断の中に示された愛です。

3、神が、御子を世に遣わされた理由と目的が記されています。
それは「御子を信じることで一人も滅びる者がないように、また、御子によって世が救われるように」という、神の強い願いと積極的な意思によるのです。ここに、神がイエス・キリストを世に遣わされた理由が記されています。「一人も滅びないで」に続いて、「永遠のいのちを持つため」とあります。「永遠のいのち」とは、現実のこの命が、何か未来永劫に続く、いつまでも死ぬことなく生き続ける、という意味以上の内容をもつ言葉です。永遠のいのちは「時間の長さ」を言うのでなく、「魂とともにある、神の中にある豊かないのち」という意味です。ヨハネは、この永遠のいのちを、今すでに得ていることを強調しています。つまり、永遠のいのちは、死後の世界に約束されている天国のことだけではなく、イエス・キリストを信じることで、それまでの古い生き方とは違う、神との新しい関係の中に今を生きる生き方です。神は私どもが、この豊かないのちに与ることを願って、ひとり子イエスを世に遣わされたのです。

2011年5月22日