「聖書とはどんな書物ですか」と問われれば、まず間違いなく、「それはキリスト教の経典/正典です」と大抵の人が答えるでしょう。英語のバイブルは、もともと「書物」を意味するギリシャ語のbiblion/biblia(複数形)から来ている言葉で、定冠詞をつけることによって「特別な書物」「書物の中の書物」「唯一、無比の書物」などという意味を、持ちます。

 人類の歴史の中には、すぐれた文化遺産である数多くの古典が存在します。聖書もそれらの中の一つの文書である、と言えないことはありません。しかし、聖書の持っている影響、生命の豊かさ、出版部数、翻訳数から見ても、聖書は「特別な書物」と言うに相応しい書物です。しかし、聖書が特別な書物であることは、単に古さや出版部数にあるのではありません。聖書がキリストを証言し、福音の真理を示し、キリスト教会の立脚すべき唯一の正典であると信じる者にとっては、聖書こそ、真実の神について、また、その神の人類救済に関する十全な知識を私たちに与える「神の言葉」です。しかも信仰と生活の誤りのない規範であり、決して他のものをもって置き換えたり、取り替えることの出来ない、唯一無比の書物という意味で絶対の書物であります。

 新約聖書の福音書に関して言えば、福音書は単なるイエスについての伝記的興味から書かれた文書ではなく、原始キリスト教会の信仰の要求を満たすために、それに応えて執筆された文書と言えます。その記述の背後には、疑いもなくナザレのイエスこそ神の子メシヤであること、世人のために悩みを受け、十字架にかかって身代わりの死を遂げ、よみがえり、今も生きておられる救い主イエス・キリストを証言しているのです。福音書記者はイエスを証しするにあたって、単なる伝説集を編纂したのではありません。イエスの生涯の出来事を歴史と固く結びつけ、歩まれた場所をたどりつつ見聞きした事実を記述しています。したがって、福音書は歴史文書であると共に、信仰の告白の文書であることを見逃してはいけないのです。福音書に証言されている主イエスに、全幅の信頼を置くのが信仰です。    

2005年7月24日