5月の第二の日曜日の「母の日」は、教会学校の一生徒の小さな行為から始まった行事で、今では、キリスト教会から離れ、ごく一般化して宗教的な意味を持たない行事となっている。この日本でも、母の日を盛んにさせた功績の一つは、商売人たちのたくましい商魂と言える。母の日に赤いカーネーションを贈る風習は、今では、より高価なプレゼントを贈るものへとエスカレートしている。

 母の日にカーネーションを贈るのは、花持ちがよく素朴で安価だからと言った人がいる。母親のきどらない愛にぴったりの花かもしれない。聖書はどこにも、あなたを産んだ母に感謝しなさい、とは記していない。母に感謝するのは、子として当たり前だからだ。一方で、聖書は「あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ。」(箴言23・25)と教えている。

 あなたの父とあなたを産んだ母を喜ばせよ、と聞いて、辛く悲しい思いを持つ子どもがいるに違いない。去る3月11日に起こった東日本大震災で、愛する父や母、大切な家族を亡くした子どもは多い。さらに、福島第一原子力発電所の事故で、親と離れて見知らぬ土地に住むようになった子どもたちも少なくない。百数名の小学生が、先生と一緒に避難する途中で津波に襲われ、半数以上の子どもたちが幼い命を亡くしたと聞いて、悲しみに胸をつかれ、涙を禁じ得ない。「お母さん有難う。」と言いたくても、大好きなお母さんが、地震や津波で亡くなったり、今もって生死の分からず捜し続けたりしている子どもたちに、母の日はどんな思いを与えるかと、何か胸が締めつけられる。

 母の日は、母への感謝と共に、母親が親としての責任の重さを自覚させられる時でもある。未曾有の災害で、家族や家を失い、悲しみに打ちのめされながらも、精一杯生きて行こうとしている子どもたちに、しっかり寄り添う母は、子どもにとって最高の慰め、力である。避難所で大人と交じって生活している子どもたちの心に、哀しみに代えて、慰めと優しさを届けられる「母の日」となること心から祈るものである。

2011年5月8日