「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1・1)
 これが、旧約聖書の最初に出てくる創世記1章1節の言葉です。へブル語で「レーシイス(初めに)バーラー(創造した)エローヒム(神が)」となります。世界は初めもなく終りもなく、円周のように連綿と続くという考え方がありますが、聖書は、はっきりと初めがあり、従って必ず終わりと結末があると教えています。しかもその初めとは、単に宇宙や時間の始まりではなく、物事の根源、根拠、土台も意味する初めでもあるのです。天も地も神が創造したと聞いて、一体何十億年前にこの宇宙が創造されたのかと、自然科学の年代測定をするのではなく、神によって天と地が創造されたことが、あらゆる問題の最初の出発点であり、ここに人間存在の根拠があるのです。人間も世界も神によって創造されたと信じるところから人生は出発するのです。つまり信仰の確認です。神による創造を認めない限り、人間の存在の根拠と意義が崩れ去ってしまいます。重要な部分が抜け落ちて、その結果、人生は暗闇と混沌の世界に突き落とされてしまいます。

天も地も、唯一のまことの神によって創造されました。自然が、どれほど四季折々美しく楽しませてくれるとしても、自然は神に変わるものではありません。太陽も星も月も動植物も、すべて神によって造られた物(被造物)であって、拝んだり祀る対象とはならないのです。神が万物を創造されるまで、世界は暗闇と混沌だけがありました。神が根底から支えて下さることによってのみ、世界も私たちも、暗闇と混沌から救い出され、自分が何者であるか、生きるとはどういうことかを、つまり人生の意義や意味を、正しく見出すことが出来るのです。

私たちは、天も地も、万物が神によって創造された、という聖書のお言葉を信じ、それを存在の根拠として受け止めることで、お互いが人生の意義や人間の尊厳を正しく認識して、力強く生きて行けるのです。

2002年4月14日