キリスト教と言うと、大方の日本人は、何も聞かないうちに「嫌い」、「面白くない」、「難しい」などと思う人が多いようです。「嫌い」や「面白くない」は別としても「難しい」と思われるには、それなりの理由があります。旧約聖書は、現在の中東世界と関わりも深く、むしろ読んで興味が尽きない書物です。ただ、私たちには地名や歴史的事件になじみが薄く、興味がわかないのも事実です。キリスト教が、アジアからヨーロッパに伝播していく中で、多神教のギリシャ世界と対決し、布教を進める上で聖書の真理を説明する手段として、やむなくギリシャ世界の哲学的用語を用いてきたことが、かえってキリスト教の説明を難しくし、時には思弁的とさえ思わせる部分があるのかもしれません。しかし、本来キリスト教は聖書に記されている事実を読み、内容を文字通りに信じる訳ですから、そんなに難解な書物ではないはずです。キリスト教が簡単に分かる方法は、まず、自分で聖書を読んでみることですが、そうは言っても難しい部分がありますので、まず、次の三点をしっかりと覚えることが大切です。
一.私たちは、天地万物の創造主なる全能の父なる神を信じます。
これは、「使徒信条」の中で告白されています。日本人が先祖の祖霊や、森羅万象を神として崇めたり、自然の背後に見え隠れする不思議と思うものに手を合わせたり、お参りを済ませてしまうような神々とは違います。
二.私たちは、自分で、自分を救い得ない者であることを認めます。
私たちが、天のお父様と呼べる方を棄てて、無神論的な日々を生きているこの現実が、罪と言えるのです。罪とは、神との関わりを断ち切って、神に逆らって、神を無視して生きることであり、裁きと不安の日々です。
三.イエス・キリストは世に来られた救い主です。
神はイエス・キリストを世に遣わし、十字架で罪の贖いを成就し、私たちを神の交わりの中に招いて下さいます。乱暴な言い方ですが、以上三点が分かれば、信仰の基本は大丈夫です。後は聖書の知識を積み上げることです。
2001年9月2日