今回の特別伝道集会では「渇くことのない命の水」、また副題に「私を変えた聖書」というテーマで、三回の説教が語られる。宗教は本来、罪とか、苦しみとか、死といった実在的な事柄を扱うものである。一般的な言い方をすれば、宗教の本質は、人間が全人格をあげて神聖な実在と出会い、この実在と交わり、極みない幸いを経験することである。この実在が、人によって神であったり、仏であったりする。
キリスト教は、ただ漠然と神を信ずるというだけの宗教ではない。神を信ずると共に、キリストを信ずるのである。むしろ、キリストにおいて神を正しく知り、信ずると言ったほうが正しい。キリスト教は、神がイエス・キリストをこの世に遣わし、キリストによって私たちと出会い、新しい命に与る宗教である。つまり、イエス・キリストによって、神と人間の新しい交わりと関係が樹立されるのである。その新しい関係が、神の招きを通して、罪を赦され、永遠の命を受けることである。
キリストの救いは「それと、あれ」と言うような、人間の部分的回復や癒しでなく、人間の生き方そのものの変革だと言える。神を知らない人間は、罪という主人のもとで、暗黒と虚無、霊的死と滅亡の中に生きている。だから神を知らず背信の中に生きることは、永遠の暗黒を目的もなくさまよい歩いている人生と言える。こうした神なき生き方が、不安を作り出す原因である。キリストの救いは全人格的な救いといえる。それは生活や性格の変革でもある。新しい生き方の始まりである。この特別伝道集会で、キリストの救いに与る方が、一人でも多く起こされることを願って、教会はみんなで伝道に取り組むのである。
1999年6月13日