マリヤはヘブライ語でミリアム「苦い没薬」という意味があります。カトリック教会ではマリヤを聖母として、神の母として崇めていますが、マリヤは、イエスが地上にある間、確かに世に言われるような「メシヤの母」としての栄光を一度として浴したことはなかったようです。わが子の上に起こってくる様々な試みにも、神の導きと、御旨とを、静かに受け止めて生きた女性です。
ローマのシステイーナ礼拝堂に、ミケランジェロが二五才の時の作品「ピエタ像」が置かれています。ピエタとは、十字架につけられて殺されたわが子イエスのなきがらを、膝に抱いて悲しんでいるマリヤの姿を表現した作品です。マリヤの深い悲しみが、見る人の心に強く伝わって来ます。ミケランジェロはこの作品で、キリストの身体を小さめにすると同時に、マリヤの膝を衣によって大きく見せ、造形的なバランスを取ったと言われます。それと共に「衣」で包むということで「神によって庇護され、現実的な脅威から守られている状態」を示した作品だそうです。
「私たちの罪を贖うため、死ぬべくして生まれてこられた、わが子」を前にして、マリヤの悲しみは、どれ程大きかったことかと思われます。マリヤは、受胎告知を通して示された神の約束に対して「私は主のはしためです。どうぞ、あなたのお言葉の通りこの身になりますように。」(ルカ1・38)と誓って以来、地上の母としての幸せと喜びを放棄して、生涯を歴史の脇役として生きたのです。マリヤは初代教会や歴史の中で、自分をイエスの母、イエスを生んだ母としての地位や特権を何一つ求めることなく、あくまで歴史の舞台裏から神がわが子を用いて、救いの業を実現させるために、どのように導かれるかを静かに見守りながら生きた一人の女性と言われます。
クリスマスの主役はマリヤという女性ではなく、あくまで、マリヤを通して生まれて来られたイエスです。マリヤはクリスマスの出来事の中で、見事に脇役としての責務を果たした女性です。だからこそ、マリヤはほめたたえられ、深い尊敬が払われるのです。
2011年12月4日