「青年は幻を見、老人は夢を見る」(使徒2・1)
使徒行伝は「聖霊行伝」とも言われているように、使徒たちの働きは常に聖霊によって先立たれ導かれていました。聖霊は、使徒たちに大いなる幻と夢とを与え、彼らは世界を包む大いな幻に導かれて、福音を全世界に宣べ伝える働きを始めました。ペンテコステの日、弟子たちが心を合わせて祈っていたところ、突然天から激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡りました。弟子たちは聖霊に満たされ、御霊の語らせて下さるままに、主イエスの福音を語りだしました。群衆は、弟子たちが「甘いぶどう酒に酔っているのだ。」と批評しました。その時、ペテロが群衆に向かって語った言葉が、ヨエル書2章28節の「年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。」という預言です。神は私共に聖霊を注いで「夢や幻」を見させて下さるのです。しかし、神の見せて下さるものは、虚しい幻想や空想ではありません。世界に広がる壮大な宣教のビジョンです。
現代は夢や幻を無くした時代だと言われます。老人だけでなく、未来の多い青年にも、大きな夢や幻が見られません。若者の中にも「気楽に世渡りするにはどうすればよいか。」という、漠然とした白けた気分が蔓延しています。教会も現状維持に甘んじ、それが将来に対する期待や幻を見え難くしています。しかし聖霊は、このような私共に幻と夢を与えるだけでなく、その夢の実現のための行動へと導き促す神の力です。
使徒パウロはトロアスで一つの幻を見ました。一人のマケドニヤ人が立って「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と彼に懇願している幻です。パウロはこの幻に導かれて、トロアスから船出してヨーロッパに最初の一歩を踏み入れました。キリスト教の福音が、初めてヨーロッパに伝えられた歴史的な出来事です。ここに聖霊の大いなる働きがあります。
預言者エゼキエルも、一つの幻に動かされて神の言葉を語り続けた預言者です。幻を失った民は滅びるとあります。聖霊は人間と世界を新しくする神の力です。私たちは各自、幻を見させて頂くだけでなく、その実現と達成のために力強く歩み出す一年でありたいと願っています。
2010年1月3日