「ペンテコステ」は、その年の収穫を感謝して新しい粉でパンを作り、それを神に献げる感謝の祭りの日ですが、その日が「過越の祭り」から数えて50日目に当たるところから、ギリシャ語を話す人々の間で「ペンテコステ」、つまり「50日の祭り」と呼ばれました。この日は約束された聖霊が弟子たちに下り、エルサレムに最初の教会が出来た記念すべき日でもあります。ところで「聖霊」とはどのような方でしょうか。

 聖霊は、主イエスによって実現された救いの御業を、この地上に継続させ発展させる働きのために、私たちの中に遣わされた生けるまことの神です。

1、「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です。』と言うことはできません。」(第1コリント12・3)これは、聖霊について考える時とても大事な言葉です。聖霊は私たちの中に働いて福音を悟らせ、説教に心を開かせ、霊の目を開いて、悔い改めと信仰へと導くのです。つまり、聖霊は、私たちをキリストの救いに導くために私たちの中に働く神です。

2,主イエス・キリストの救いに与った人は、信仰の成長や経験に関係なく、また、異言を語ったり不思議な幻を見たりしなくても、皆聖霊を宿す者とされているのです。聖霊は、私たちの身体を神の宮、聖霊の宮として、私たちに内在される神です。私たちを真に霊的に導かれるのは、聖霊です。

3,聖霊は、新しい命として私たちの心と魂に深く届き、慰めと力を生み出す「慰めの御霊」です。礼拝は、この聖霊の息吹が礼拝に集う人々の全身に吹き込まれ、弱さの中に深く沈んでいる人に勇気と慰めを与える場です。聖霊に運ばれる説教は、聴衆の心と魂に力を与えます。

4,聖霊は私たちに内在し、キリストの品性に似る者へと変える働きを続ける方です。ガラテヤ書5章にある「御霊の果実」を結ばせるものは、この聖霊の働きです。「聖霊は、私を主イエスに出会わしめ、バプテスマにまで導かれる方」であると共に、私の中に福音を啓示し、福音を信じさせ、キリスト者として豊かな実を結ばせる方として、神から遣わされた慰め主なのです。

2008年5月4日