ヨハネ福音書14章以下は、通常、主イエス様の「別れの説教」と言われる部分です。ここには、今地上の生涯を終えて、父のみもとに去って行こうとされる主と、主イエスが去った後、限りない不安の中に残される弟子に「助け主」と呼ばれる聖霊が遣わされること、更に聖霊は弟子たちと共におり、生前に語られた主イエスの言葉を思い起させ、力強く伝道の働きを支える方であることを記しています。
ご存知のように、キリスト教では神のことを「三位一体の神」と呼びます。聖書の中には、神は、ただひとりの方と教えています。ところが、聖書を読んでいきますと「父なる神」「子なる神」「聖霊の神」というように、明らかに区別されています。神は本質において一つであるのに、父、子、聖霊と呼べる三位(人格)の神として存在するのです。そこで、教会はこの難しい事柄/事実を説明するために、「三つであるが一つ、一つであるが三つ」と言う意味で「三位一体」と言う言葉を用いたのです。結局、それ以外に表現のしようのない信仰の告白です。
教会の歴史の中でも、一人なる神が旧約聖書で父なる神、創造者として現われ、新約聖書の時代はイエス・キリストとして、現在は聖霊という形で自らを現しておられると、誤った説明をした学者もいました。つまり、神さまは各時代に御自分を三つの姿(様態)で現されるというのです。また、聖霊が「風」「息」を表す語源であることから、聖霊を神の力、また神からのエネルギーのように考える方もいますが、いずれも誤りです。
有名なハイデルベルク信仰告白には、「聖霊は父、および御子と等しく、永遠の神である。また、聖霊は私をキリスト及び、そのすべての恵みにあずかる者となし、私を慰め、私とともに永遠にいますということ。」と告白されています。一言でいえば、聖霊は、父なる神と主イエス・キリストから遣わされて、私たちの内に不断に存在し、生きて働き、私たちをしてキリストにまで導かれる神です。聖霊は、私を主イエスに出会わしめ、バプテスマまでに導きたもう方と告白出来ます。
2010年5月23日