すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
マタイ伝11章28節
この世で生きているかぎり、誰もが一様に感じるのが疲れです。
肉体の疲れは、休息すればある程度は回復します。しかし、精神的な疲れの場合は、休んでも取れないことが多く、周りにいる人々にも、その疲れの度合いまでは分かりません。たとえ、疲れの原因が分かったとしても、私たち人間の力や知恵で解決できない場合は、どうすることも出来ないのが現状です。疲れがたまり、やがて負いきれない疲れに押しつぶされそうになる時、生きていく希望さえも見失ってしまいます。
しかし、イエス様は、そんな疲れた人々に対して、「わたしのところに来なさい。」と招いてくださいます。イエス様は、招きに応答する者に休みを与えてくださるお方です。
ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、渚を歩いていた。暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。どの光景にも、砂の上に2人の足跡が残されていた。一つは私の足跡、もう一つは主の足跡であった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、私は、砂の上の足跡に目を留めた。そこには一つの足跡しかなかった。私の人生で一番辛く悲しい時だった。
この事がいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、私と共に歩み、私と語り合ってくださると約束されました。それなのに、私の人生の一番辛い時、一人の足跡しかなかったのです。一番あなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、私を捨てられたのか、私にはわかりません。」
主は、ささやかれた。「私の大切な子よ、わたしはあなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に、足跡が一つだった時、わたしはあなたを背負って歩いていた。」
これは、米国のあるクリスチャンの詩です。
イエス様は言われます。「あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」と、たとえ疲れがあったとしても、たましいに安らぎが与えられる時、疲れ果ててしまうことはありません。イエス様の招きにお答えすることが平安を得る秘訣です。