心配なとき

 

 この世で生きるということは、様々な問題に直面することを意味しています。自分の力や知恵で解決できる問題ならば、誰も心配する必要はありません。しかし、多くの心配の原因は、自分ではどうすることも出来ない問題を抱えてしまったり、必要以上に心配するために希望を持って生きることが出来なくなるからです。

 イエス様は、弟子たちに対して言われました。「あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配するのですか。」ルカ12:25~26、と私たちのいのちを支えておられるのがイエス様であることを示しされました。

 私たちのいのちを延ばしたり、短くしたりすることは人間にはできません。しかし、イエス様は、「こんな小さなことさえ」と言われます。なぜなら、イエス様がこの世の一切の権威を持ち、私たちのいのちの支配者であられるからです。このイエス様が、心配するのはやめなさい。と命じているのです。

 イエス様が、私たちのことを心配してくださるので、私たちは心配は要らないと言うのです。