イエス・キリスト誕生の約750年ほど前、預言者イザヤは、救い主イエス・キリストの来臨を預言しました。「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。」(イザヤ9・2)とありますが、「暗黒」が象徴するものは、罪、孤独、死、不安、疎外など、人間の実存そのものです。パスカルは「人間はひとりで死ぬ」と言いましたが、これは人間そのものが、孤独な存在者であることを教える言葉です。人間の虚しさや生き甲斐は、物質では測れません。それは心の問題です。創造主である神から遠く離れて生きているところから生じる虚しさです。この虚しさや罪の中に深く沈んでいる私たちを救い出すために、主イエス・キリストは世に来られたのです。

 救い主誕生のメッセージを神から受け、星を頼りに旅に出かけた東方の賢者がいます。東方の国の博士とあるだけで、実際にどこの国の人か、出発地はどこかなど、分からないのです。重要なのは、導きに従って取られた新しい出発と、その目的に向けて歩き出す勇気と信仰です。博士たちの目的はユダヤの王宮ではなく、お生まれになった救い主キリストにお目にかかるという、ただこの一事にありました。博士たちは、家畜小屋の飼葉おけに寝かされた幼児を見出した時、この方こそ世に来られた救い主であると、ひざまずいて心から礼拝を捧げました。以前、博士や羊飼いに囲まれた、幼子イエスの聖絵を見たことがあります。「聖家族」と呼ばれるものです。マリヤとヨセフの前に、布にくるまれた嬰児、しかしよく見ると、飼葉おけの背後に、長く延びる十字架の影が描かれています。画家の信仰の息づかいを感じる絵です。そして幼子イエスが、この後に歩まれる十字架のご生涯を暗示する絵です。聖書は「ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」(ピリピ2・7,8)とイエス・キリストのご生涯を書きとめています。

 クリスマスは、救い主の誕生を喜び祝う季節ですが、ただ喜び祝うだけでなく、苦難の救い主として世に来られたキリストを、心の王座にどうお迎えするかを思い巡らす時です。

2007年12月16日